福岡地方裁判所 昭和48年(わ)629号 判決 1976年3月30日
主文
被告人桐野を懲役一年に、被告人笠原を懲役一年二月に、被告人七熊、同徐をいずれも罰金一〇万円にそれぞれ処する。
被告人七熊、同徐においてその罰金を完納することができないときは、いずれも金二〇〇〇円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置する。
この裁判確定の日から、被告人桐野に対し二年間、被告人笠原に対し三年間、それぞれその刑の執行を猶予する。
被告人桐野から、押収してある日本刀一振(昭和四九年押第九一号の四)、刀拵一振(同号の五)及び刀つば(同号の二七、但し桐箱を除く)を没収する。
被告人桐野から金一五〇万円を追徴する。
訴訟費用中、別紙一記載の各証人に支給した分は、被告人四名の、別紙二記載の各証人に支給した分は、被告人桐野、同笠原、同徐の、別紙三記載の各証人に支給した分は、被告人笠原、同徐、同七熊の、別紙四記載の証人に支給した分は、被告人桐野、同笠原の、別紙五記載の各証人に支給した分は、被告人笠原、同徐の、各連帯負担とする。
本件公訴事実中、被告人桐野が、昭和四七年二月二四日ころ、東京都千代田区九段南二丁目三番二七号所在の料亭「阿家」において、被告人笠原から現金三〇万円の賄賂を収受し、被告人笠原が同日同所において右賄賂を供与したとの点については、被告人桐野、同笠原は無罪。
理由
(被告人らの経歴及び犯行に至る経緯)
昭和四五年ころから、被告人笠原が副会長をする九州歯科大学(以下九歯大と略称する)同窓会が私立歯科大学設立の準備を進め、これとほぼ同じころ、福岡県歯科医師会も私立歯科大学設立の準備を進めていたところ、文部省の意向を受けて右両者の一本化の動きが起こり、被告人七熊は九歯大同窓会の役員ではなかつたが、右両者の一本化のための助力を依頼されて設立運動に関与するようになり、被告人徐は九歯大同窓会田川支部専務理事であつたが、被告人七熊から政治折衝のための上京を依頼されて設立運動に関与するようになつたもので、昭和四六年八月下旬、右両者が一本化して福岡歯科大学(以下福歯大と略称する)設立準備委員会が発足するや、被告人笠原、同七熊、同徐はいずれも右準備委員会の総務担当実行委員となり、被告人笠原は総務部長として主として教官組織の整備を担当し、被告人七熊、同徐は中央での政治折衝を担当し、被告人徐は間もなく、右準備委員会の財政面をも担当するようになつた。ところで、右準備委員会には、実行委員以上の委員中の有力者からなる常任委員会が設けられていたものの、常任委員全員が集まる機会は少なく、しかも各自の分担分野においてそれぞれ突発的な問題が発生していたこともあつて、ほとんどの委員が各自の判断によつて活動しており、他方、自己の分担外の分野についての他の委員の行動に対しては容かいしないようにしていた。
被告人桐野は、昭和三〇年以降東京医科歯科大学教授の職にあるものであるが、昭和四〇年七月から昭和四四年三月まで文部大臣の諮問に応じて大学の設置の許可等に関する事項を調査審議する大学設置審議会(以下設置審と略称する)から付託されて設立歯科大学の専門過程における教官組織の適否を審査する歯学専門委員会の委員であり、昭和四五年五月以降右設置審の委員となり、同時に右設置審内の大学設置分科会の会長の指名によつて右歯学専門委員会の構成員を兼ねていたところ、昭和四六年八月上旬第九期日本学術会議会員選挙に立候補して全国の歯科大学の学会、同窓会の推薦を得るべく遊説のため、同年九月上旬に北九州市に九歯大学を訪れた際、九歯大同窓会が主体となつて福歯大設立認可申請がなされる予定である旨聞知した。
同年九月三〇日、福歯大設立認可申請が文部省へなされ受理されたが、当時は歯科大学の設立認可申請が多数なされていたうえ、歯科系の研究者の絶対数の不足もあつて、福歯大設立準備委員会関係者は、申請当時から申請した教官予定者の一部に不適格の判定が出るのではないかと危惧の念を抱いており、ほとんどの申請大学はその設立母体である既存の大学の出身者が設置審又は歯学専門委員会の委員となつていたのに対し、九歯大出身の右委員がいなかつたこともあつて、教官組織の整備を担当していた被告人笠原は、被告人桐野が日本学術会議会員選挙を通じて九歯大同窓会と関係を有するに至つたことや被告人桐野と九歯大同窓会長穂坂恒夫とが以前から知合の間柄であつたところから、同被告人と接触を持とうと考えるに至つた。
(罪となるべき事実)
第一 被告人桐野は、
一 昭和四六年一〇月六日、東京都文京区湯島一丁目五番四五号所在の東京医科歯科大学内の自己の教授室において、被告人笠原から、右福歯大の設置認可申請の調査審議に関して便宜な取扱いを受けたい趣旨のもとに供与されるものであることの情を知りながら、前記選挙の陣中見舞名下に、現金一〇〇万円の供与を受け、
二 同年一二月七日、右同所において、被告人笠原から、前記福歯大の設置認可申請の調査審議に関して便宜な取扱いを受けたことの謝礼及び将来も便宜な取扱いを受けたい趣旨で供与されるものであることの情を知りながら、前記選挙の当選祝名下に、日本刀一振(昭和四九年押第九一号の四)、及び同拵一振(同号の五、付属のつばは同号の二七、但し桐箱を除く)(以上合計時価四二万円相当)並びに現金五〇万円の供与を受け、
もつてそれぞれ自己の前記職務に関して賄賂を収受し、
第二 被告人笠原は、
一 前記第一の一記載の日、場所において、被告人桐野に対して、同項記載の趣旨のもとに同項記載の金員を供与し、
二 前記第一の二記載の日、場所において、被告人桐野に対して、同項記載の趣旨のもとに同項記載の金品を供与し、もつてそれぞれ被告人桐野の前記職務に関して賄賂を供与し、
第三 被告人七熊は、昭和四六年一一月二九日ころ、福岡市中央区天神四丁目所在船津ビル内の福歯大設立準備委員会事務所において、被告人笠原が被告人桐野に対して前記第一の二記載の趣旨のもとに日本刀を供与することを提案した際、被告人笠原から日本刀の手配を依頼されてこれを了承し、そのころ熊谷組福岡支店次長磯俣敏行に対して電話で日本刀の注文手配方を依頼し、もつて右磯俣から注文を受けた刀剣商川上保をして同年一二月六日ころ第一の二記載の日本刀一振、同拵一振(つばのついたもの)を右福歯大設立準備委員会事務所に届けさせ、もつて被告人笠原の前記第二の二の犯行を容易ならしめてこれを幇助し、
第四 被告人徐は、同年一二月二日、自宅において、被告人笠原から電話で、現金五〇万円の支出方を依頼された際、被告人笠原が右金員を第一の二記載の趣旨のもとに被告人桐野に供与しようとしているものであることを知りながら、右支出方を了承し、同月四日ころ、福歯大設立準備委員会事務員図師議に指示して被告人笠原に現金五〇万円を交付させ、もつて被告人笠原の第二の二記載の犯行を容易ならしめてこれを幇助し
たものである。
(証拠の標目)(省略)
(本位的訴因を認定しなかつた理由)
被告人七熊及び同徐に対する本位的訴因は、被告人両名が被告人笠原と共謀のうえ、判示第二の二のとおり、被告人桐野に対し金品を供与した、というものであるが、次の理由により、被告人七熊及び同徐に対しては、判示第三、及び第四で認定したとおり、それぞれ幇助と認定するのが相当であると思料する。
第一 被告人徐関係
前掲各証拠によると
一 判示認定のとおり、被告人桐野に対する本件金品の供与は、福歯大の設立に伴う教官組織の整備に関連して、被告人笠原が教官組織の整備を担当する実行委員として被告人桐野と接触を重ねる過程でなされたものであり、被告人徐は、福歯大の設立過程では専ら中央政界への陳情、銀行関係への融資依頼等の職務を担当し、被告人笠原らを通じ教官組織の整備状況に関連する知識を入手していたとしても、自らは担当分野の異なる教官組織の問題についてあまり関心がなかつたものと窺われること
二 被告人徐は、福歯大の設立過程で再三上京しているが、主にその担当職務の関係で中央政界への陳情等のためであり、その際、被告人桐野と接触したことがなく、昭和四六年一二月七日現金五〇万円及び本件刀が被告人桐野へ供与された時点では同被告人と全く面識がなく、昭和四七年二月二三日同被告人が個人的に福歯大の施設を視察した際、始めて他の実行委員と共に面会したに過ぎないこと
三 検察官は、昭和四六年一一月二九日ころ福歯大設立準備委員会のあつた船津ビルにおいて、被告人笠原が被告人七熊らに対し、被告人桐野に対する現金五〇万円及び本件刀の供与を提案した旨主張するが、被告人徐が同席したものと認めるに足る証拠はなく、判示第四認定のとおり、被告人徐は、被告人笠原から電話で右金員の支出に関して指示を受け、経理担当事務員にその支出を指示したに過ぎないこと
四 当時福歯大の設立関係費用は、原則として被告人徐の指示を受けた経理担当事務員を通じて支出されていたが、これは被告人徐に対して支出の許可権限を与えていたというよりは、むしろ経理の明確化をはかる趣旨の処理であつたこと
等の事実が認められるのであつて、以上の諸事実に照らせば、被告人徐の行為は、被告人笠原と共謀のうえで同被告人の行為を利用して自己の犯罪を遂行したものというよりは、被告人笠原の犯行を容易ならしめたに止まるものと評価するのが相当である。
第二 被告人七熊関係
前掲各証拠によると、被告人桐野へ現金五〇万円及び本件刀を供与した経過は、被告人徐関係で説示したとおりであるほか、
一 被告人七熊は、福歯大の設立過程で総務担当実行委員として専ら中央政界への陳情等に力を注いでいたものであり、再三上京した折も専らその方面の折衝に当り、被告人笠原、力武清士らを通じ教官組織の整備状況に関連する知識を入手していたとしても、教官組織の整備は専ら被告人笠原に任せきりであつたものと窺われること
二 被告人七熊は、福歯大設立準備委員会の組織上、被告人笠原よりその地位が低く、判示第三認定のとおり、被告人笠原の提案を受けて、日本刀の手配を引き受けたものの、昭和四六年一二月三日以降上京しており、自己が手配した日本刀の受領及び代金の支払いには関与していないこと
等の事実に照らせば、被告人七熊が日本刀を手配した行為は、自己が主体的に被告人笠原と共同して被告人桐野へ日本刀を供与したものではなく、被告人笠原の犯行を容易ならしめた行為と評価するのが相当である。
(法令の適用)
被告人桐野の判示第一の一及び二の各所為は、いずれも刑法一九七条一項前段に、被告人笠原の判示第二の一及び二の各所為はいずれも同法一九八条一項、六条、一〇条により昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号に、被告人七熊の判示第三の所為及び被告人徐の判示第四の所為はいずれも刑法六二条一項、一九八条一項、右罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するところ、被告人笠原の判示第二の一及び二の各所為についてはいずれも所定刑中懲役刑を選択し、被告人七熊の判示第三、被告人徐の判示第四の各所為についてはいずれも所定刑中罰金刑を選択し、被告人七熊の判示第三、被告人徐の判示第四の各所為はいずれも従犯であるから、刑法六三条、六八条四号によりそれぞれ法律上の減軽をし、被告人桐野の判示第一の一、二の各所為、被告人笠原の判示第二の一、二の各所為は、それぞれの被告人の関係で併合罪であるから、いずれも同法四七条本文、一〇条により、それぞれ重い判示第一の一、第二の一の罪の刑に法定の加重をしたそれぞれの刑期の範囲内で、被告人桐野を懲役一年に、被告人笠原を懲役一年二月に処し、被告人七熊、同徐を所定金額の範囲内でいずれも罰金一〇万円にそれぞれ処し、被告人七熊、同徐において右罰金を完納することができないときは、いずれも同法一八条により金二〇〇〇円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置することとし、被告人桐野、同笠原に対してはいずれも情状により同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から、被告人桐野に対しては二年間、被告人笠原に対しては三年間それぞれその刑の執行を猶予し、押収してある日本刀一振(昭和四九年押第九一号の四)、刀拵一振(同号の五)、刀つば(同号の二七、但し桐箱を除く)は被告人桐野が判示第一の二の犯行により収受した賄賂であるから、同法一九七条の五前段によりこれらを同被告人から没収し、同被告人が判示第一の一、二の各犯行により収受した現金合計一五〇万円の賄賂は、いずれもこれを費消し没収することができないので、同法一九七条の五後段によりその価額合計一五〇万円を同被告人から追徴することとし、訴訟費用については、いずれも刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条を適用して、主文掲記の各証人に支給した分は、それぞれ主文掲記の関係被告人の連帯負担とする。
(一部無罪の理由)
一 昭和四八年九月一四日付起訴状記載の公訴事実第一の二及び第二の二の要旨は、
「被告人笠原は、昭和四七年二月二四日ころ、東京都千代田区九段南二丁目三番二七号所在の料亭『阿家』前路上において、被告人桐野に対し、福岡歯科大学の設置認可申請の調査審議にあたり、便宜な取扱いを受けたことの謝礼及び将来も便宜な取扱いを受けたい趣旨のもとに現金三〇万円を供与し、もつて同人の職務に関して賄賂を供与し、
被告人桐野は右日時、場所において、被告人笠原から、右の趣旨のもとに供与されるものであることの情を知りながら、現金三〇万円を収受し、もつて自己の職務に関して賄賂を収受したものである」
というにある。
二 ところで、被告人両名が公訴事実記載の日時、場所において酒食を共にしたことは、本件記録上明白であるが、被告人両名は、当公判廷で右金員の授受を強く否定し、捜査段階では捜査官から相手が自白している旨告げられたため、記憶にないまま相手の自白に合せて自供した旨弁解しているところである。そして、右金員の授受に関し、検察官の主張に副う証拠は、被告人両名の捜査段階における自白のみであつて、その自白を裏付ける客観的証拠の乏しいことは、本件記録上明らかである。もとより、被告人両名の捜査段階における自白を相互に補強証拠として用いることによつて、被告人両名を有罪と認定することは許されるところであるが、この場所においては、被告人両名の自白が充分措信するに足りるものでなければならないのはけだし当然のことである。そこで、被告人両名の捜査段階における自白が果して充分措信できるものであるか否か慎重な吟味が必要であるといわなければならない。
右の観点に立つて、以下被告人両名の捜査段階における自白の信憑性の有無を検討することとする(以下の調書の引用に当つては、検察官に対する供述調書を「検面調書」、司法警察員に対する供述調書を「員面調書」とそれぞれ略称する。)
(一) 被告人桐野の自白の信憑性
1 本件三〇万円の授受に関する捜査の端緒とその自白経過について
記録によると、被告人桐野は、判示第一、二の事実に関する容疑で逮捕された際、当初五〇万円の授受に関し、刀と別の機会であり、その時期も昭和四七年一月末頃であり、金額も三〇万円であり、その返礼として絵を贈つた趣旨の弁解をしていたことが認められ(同被告人の司法警察員、検察官に対する各弁解録取書、昭和四八年七月一四日付検面調書、以下調書の作成日付は四八・七・一四の如く数字のみで表示する)捜査官が右弁解に基づき、同被告人は現金五〇万円の授受とは別の機会に現金三〇万円の授受があつたものとの疑念を抱き、同被告人を追求した結果、本件三〇万円の授受に関する自白を得るに至つたことが窺われる。
しかし、同被告人の当公判廷における供述によると、同被告人は、逮捕された当初、自己の記憶が不明確であるとして、自ずから捜査官に自己の手帳の取り寄せを求め、その結果押収された手帳(昭和四九年押第九一号の一七、一八)に基づいて、金品の授受に関する供述をした経過が認められるところであつて、後記の日本画の寄贈の点と合せ考えると、同被告人の逮捕当初の右弁解が、昭和四六年一二月七日の現金五〇万円の授受に関し、単に不鮮明な記憶に基づいた供述と解する余地も十分にあり、右弁解をもつて、直ちに、現金五〇万円の授受とは別途に現金三〇万円の授受があつたものと速断することにはちゆうちよせざるを得ない。そうすると、検察官主張のように、同被告人の本件三〇万円の授受に関する自白の経過をもつて、直ちに、信憑性が高いものと断ずることはできないのである。
2 日本画の寄贈に関する供述について
本件記録上、同被告人は、昭和四七年七月福歯大の設立準備委員長であつた穂坂恒夫を訪ね、石田粧春作の日本画を福歯大へ寄贈していることが明らかであるが、同被告人の本件三〇万円の授受に関する自供調書によると、右日本画の寄贈は、専ら現金三〇万円収受に対応するものとされているところである。
しかし、証人萩原清に対する受命裁判官の尋問調書によれば、福歯大へ持参された日本画の市価は当時五〇万円以上であり、七五万円位でも妥当な線だというのであり、又同被告人は「四五万円位の値打のあるものを三〇万円にまけてくれたと思つていた」(同被告人の四八・七・二七付員面調書一一項)ものである。だとすれば、この絵が、専ら受領したとされる現金三〇万円の返却に代るものとする右自白は不自然であるといわねばならない。また、右証言によると、同被告人が絵を注文したのは遅くとも二月中旬以前であることが窺われ、同被告人の手帳(昭和四九年押第九一号の一七)の一二月七日の欄には「穂坂氏gelの事」という記載があることに照らせば、同被告人は、現金三〇万円を受領したとされる以前から既に絵の返却を考えていたものと疑う余地があるものとしなければならない。そうすると、前記日本画の寄贈が専ら受領したとされる現金三〇万円の返礼とする右自白には重大な疑問が残り、前記日本画の寄贈をもつて直ちに右自白の真実性を裏付ける資料とすることは困難である。
3 同被告人作成の手帳の記載との関係について
同被告人の昭和四六年度の手帳(昭和四九年押第九一号の一七)には、一〇月六日の欄に百万円、一二月七日の欄に日本刀及び五〇万円の各記載がなされているにもかかわらず、昭和四七年度の手帳(同号の一八)の二月二四日前後の欄を精査しても、三〇万円受領に関する記載はない。
なる程、同被告人は、手帳に記入するか否かについてのはつきりした基準はない旨供述しており(四八・八・一付検面調書)、又、吉田誠三から寄附された五〇万円や、信州の同窓生から当選祝として貰つたとされる三〇万円等についてはその記載がない。しかしながら、右吉田等は、同被告人とは比較的親密な関係にあつたのに比べて、同被告人と被告人笠原との間は、福歯大認可申請というきずなのみによつて結ばれていたものであつて、その親密度は非常に低かつたと思われ、又それ故にこそ、百万円、日本刀及び五〇万円については、被告人桐野の几帳面な性格も作用して、正確に記載されていたのではないかと推測される。もつとも、昭和四七年二月二四日朝、福岡で染矢から貰つた事実が認められる五万円についても記載がないが、三〇万円というのはかなりの金額であり、又、被告人桐野は日課として朝出勤後授業開始前に、前日分の出来事等を手帳に記入するのが長年の習慣であつたというのであるから(四八・七・三〇付検面調書)、その自白するとおり、翌朝教授室において、始めて背広の内ポケツトに入つていた三〇万円に気がついたというのであれば(四八・七・二七付員面調書)同被告人と被告人笠原との関係、被告人桐野の性格、習慣、三〇万円の受領に気付いた時点等からして、三〇万円の授受に関する一件がその場で手帳に記入されるのではないかという疑念が生ずるところである。そうすると、同被告人の手帳に三〇万円の授受に関する一件の記載がないことは、同被告人の自白の真実性に疑問を抱かせる一資料であることを否定することができない。
4 被告人桐野の当公判廷における弁解と自白との関係について
被告人桐野は、本件三〇万円の授受に関し、四八・七・二二付員面調書で始めて概括的な自白をした後、ほぼ一貫して司法警察員及び検察官に対し、本件三〇万円の授受当時の状況、その保管状況等を具体的に自白しており、検察官が右自白を措信するに足りるものと主張するのは無理なからぬものと思われる。
しかし、同被告人は、当公判廷で捜査官から被告人笠原が自白している旨告げられ、記憶にないまま自白した旨弁解しているところであり、その当公判廷における供述によると、右自白前後接見に来た弁護人に対し、本件三〇万円の授受に関し記憶がない旨相談した形跡が窺われる。そして、同被告人の本件三〇万円の授受に関する自白調書をみると、始めて概括的に自白をした四八・七・二二付員面調書では「ヽヽヽこの金を一体どうしたのかいくら考えても思い出せませんのでヽヽヽ」と供述し、又、始めて具体的な自白をした四八・七・二七付員面調書では、その自白の冒頭で「相当飲んで酔つてもいたので、はつきりしたことはいくら考えても思い出せませんが、」と供述し、更に、最終の自白調書である四八・八・五付検面調書においても、「私も非常に酔つておりましたので渡したといわれれば、たしかにもらつたような気もいたしますが、具体的なことをはつきりは思い出せません。」と供述しているところであつて、右各供述と同被告人の当公判廷の弁解とを対比して考えると、同被告人の当公判廷における右弁解が全く虚偽であるものとは直ちに断じ難く、同被告人の弁解するとおり、明確な記憶がないまま自白したのではないかとの疑念を払拭し去ることはできないのである。
(二) 被告人笠原の自白の信憑性
1 本件三〇万円の精算関係に関する供述について
被告人笠原は、本件三〇万円の授受に関し四八・七・三〇付員面調書以後自白しているところであるが、その要旨は、急に思い立つて手持金三〇万円を被告人桐野に供与したというものであつて、この自白は、被告人笠原が昭和四八年八月六日保釈された以後における取調においても維持されている。しかし、この三〇万円の精算に関する供述は変遷しており、当初は、福歯大設立準備委員会の資金から精算を受けた趣旨の供述をし、具体的に昭和四七年二月末頃大成荘で被告人七熊から支弁された旨供述していたが(四八・八・一六付員面調書)、その後この供述をひるがえし、最終的には精算関係について記憶がない旨供述(四八・九・一三付検面調書)していることが認められる。
ところで、被告人笠原は「福歯大設立は皆手弁当でやつているので個人で負担しているものも相当ある」旨供述するが現実には、昭和四六年一〇月六日の被告人桐野への一〇〇万円、一一月初めに東京医科歯科大学同窓会の紫田嘉則にわたした一〇〇万円、一二月七日の被告人桐野への五〇万円はいずれも福歯大設立準備委員長の穂坂恒夫の同意を得た上で、最終的には右委員会の資金から支弁されたものであり、被告人笠原は、諸雑費を個人的に負担することがあつたとしても、まとまつた金員の支出に関しては必ず精算を受けていることが認められる。にもかかわらず、この三〇万円については、被告人笠原の検面調書によれば、精算を受けたか否かはつきりしないというのであり、福歯大の設立準備に関する会計帳簿上も右精算の点は不明確なままである。このように、本件三〇万円の精算について、自白が変遷し精算関係が不明確でその裏付が全くないということは、不自然であり、福歯大の設立準備に関する会計帳簿がかなりずさんであつたことを考慮に入れても、自白全体の真実性に重大な疑念が生ずることは否定し難いというべきである。
もとより、被告人笠原が、保釈出所後も本件三〇万円の授受に関し、一貫して自白を維持している点は、その信憑性を判断するに当つて、充分考慮しなければならない。しかし、同被告人は、当時持病の狭心症の発作にしばしば襲われ、保釈中の取調の際も右狭心症の発作により救急車で入院した事実があり、後記のとおり、保釈中の警察官の取調に際し、捜査官に迎合して本件三〇万円の精算に関し、虚偽とも思われる自白をした事情を合せ考えると、同被告人が保釈後も本件三〇万円の授受に関し自白を維持しているからといつて、直ちに、全面的に措信することは困難である。しかも、本件三〇万円の授受とその精算関係に関する自白は、一体として評価すべきものであり、本件三〇万円の授受に関する自白のみを分離独立させてその信憑性を論ずることは危険であつて、本件三〇万円の精算関係に関する自白に合理的な疑念が残る以上、その自白全体の真実性に合理的な疑念が生ずるものとしなければならない。
2 被告人笠原の現金授受の態様等の自白について
同被告人は、ほぼ一貫して本件三〇万円の授受に関し、酒の勢いで気が大きくなり、料亭「阿家」の便所の中で三〇万円を数え、封筒に入れたうえ、帰宅のためタクシーに乗車した被告人桐野の背広上衣ポケツトにねじ込んだという趣旨の供述をしているところであるが、両被告人のそれまでの関係に照らせば、福歯大の設立認可の関係で接触があるに止まり、現金を一方的にポケツトにねじ込むというのは甚だ非礼な行為であつて、不自然な感じを免れず、便所の中で現金を数えたという供述と合いまつて、その自白内容は真実性を訴えるのに乏しいものといわなければならない。
3 被告人笠原の当公判廷における弁解について
同被告人は、当公判廷で捜査官から被告人桐野が自白している旨告げられ、つじつまを合わせるため、記憶にないまま自白した旨弁解しているところである。
ところで、同被告人は、本件三〇万円の精算に関し、四八・八・一六付員面調書では、昭和四七年二月二七日大成荘で被告人七熊から三〇万円の精算を受けた旨現金授受の問答も含めてかなり具体的に自白しておりながら、四八・九・五付検面調書では、「警察では二月二七日大成荘で七熊君から受け取つたことが明白で証拠がそろつているというお話しでしたので、そういわれればあるいはそうかも知れないと思つて話を合せたのです。」と供述し、右精算に関する自白は、証拠上全く認められない事実に関するものであり、同被告人の供述経過に照らすと、捜査官に迎合して虚偽の自白をしたものと疑うに充分である。そうすると、同被告人の自白全体に重大な疑問が生ずるのであつて、被告人桐野の自白につじつまを合せて供述したとする被告人笠原の当公判廷における弁解を全く虚偽のものであると断じ去ることはできないというべきである。
三 以上検討したとおり、被告人両名の自白には、種々の疑問が残り、また、被告人両名の当公判廷における弁解が直ちに虚偽であると断じ去ることができない以上、被告人両名の自白を全面的に措信し、これが相互に補強し合うものとして被告人両名を有罪と断ずることは困難であるといわざるを得ない。そうすると、右公訴事実については、証明が十分でないことに帰着するから、刑事訴訟法三三六条により、被告人両名に対し主文のとおり無罪の言渡をする。
(結語)
よつて主文のとおり判決する。
別紙一
証人小林克己、同青柳徹、同高橋彬、同堀川高大、同岡孝男、同野本直、同磯俣敏行、同川上保、同図師議(二回分)、同井上芳輔(二回分)、同野口義人(第九回公判の分)、同畑迫鉄治、同藤井実蔵、同灘吉虎夫(二回分)、同上潟口武、同穂坂恒夫、同染矢廣美(第一三回公判の分)、同力武清士(二回分)、同吉田誠三、同滝本和男
別紙二
証人吉田寿雄、同杉田均、同有賀槐造、同安藤正一、同清水文彦、同久保田康耶、同松井隆弘
別紙三
証人下川敏夫、同平山稔
別紙四
証人染矢廣美(東京地方裁判所における尋問分)
別紙五
証人松尾捷三、同佐藤信正、同野口義人(第二二回公判の分)